Collections作品紹介
作家名 | 白隠慧鶴 Hakuin Ekaku |
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手法 | 紙本・墨 |
寸法 | 本紙38.7×62.7㎝ 総丈112.0×66.3㎝ |
備考 | ・印「慧鶴」「白隠」、関防印「顧鑑口+夷」 ・賛:「菴内人依甚麼不知庵外事」 ・読み:菴内の人、甚麼(なに)に依ってか、菴外の事(じ)を知らざる ※『五燈會元』巻第十三。「乾峰三種の病」の公案に対する雲門の著語。 ・意味:修行して悟りに近づいた人(=菴内人)そういう人にしてなお(あるいは、そういう人だからこそ)菴の外の事を知らない(世間のことに疎くなってしまう)。 |
製作年 | 江戸時代(18世紀) |
状態 | 修理済ですが、元来のシミがございます。 |
付属品 | 時代箱 |
略歴 | 【白隠慧鶴(1686~1769)】 江戸中期の僧。臨済宗中興の祖。 500年に一人と称えられた高僧。 15歳で郷里駿河(静岡県)の松蔭寺で得度。 信濃飯山の道鏡慧端(正受老人)の法をつぐ。 各地を巡歴して修行を積み、のち松蔭寺にもどり,享保3年京都の妙心寺首座。 余技としての画や書を民衆の教化に用い、「駿河には過ぎたるものが二つあり、 富士のお山と原の白隠」と土地の人々に慕われた。 臨済宗一派である「鵠林派」の祖でもあり、門下には東嶺円慈、遂翁元盧などの逸材が多く輩出されており、後進育成に注力するとともに民衆にも禅を広めた。 その禅画作品は、国内よりも海外でいち早く評価されてきた。 明和5年12月11日死去。84歳。 |