Collections作品紹介
作家名 | 伊藤若冲 Ito Jakuchu |
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手法 | 紙本・墨 |
寸法 | 本紙83.2×29.0㎝、総丈138.5×41.8㎝ |
備考 | 印「藤女釣印」「若冲居士」 |
製作年 | 50歳以降(1766年以降) |
状態 | 表装・修理済 |
付属品 | 箱付 |
略歴 |
【伊藤若冲(1716~1800)】 江戸時代中期、京都生まれ。 名は汝釣、字は景和。号は斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士。 京都・錦小路高倉の青物問屋「枡屋」の長男に生まれる。 15歳頃から絵を学び、40歳で家業を弟・白歳(はくさい)に譲って画業に専念。 最初に学んだ狩野派の画法に飽き足りず、京都の古寺に伝わる宋,元,明の中国画を模写。 その後、実物写生を絶対視するに至る。 長崎経由で流行した沈南蘋の細密な花鳥画や、黄檗宗関係の水墨画などの影響も大きく、 既成の形態をデフォルメすることで独特な画面構成の作品を生み、奇想の画家としてもよく知られる。 動植物を細密かつ鮮やかに描くなどして当時の京都では円山応挙と並び称された。 天明8 (1788) 年の大火で家を焼失。晩年は京都深草の石峰寺のかたわらに隠棲し、晩年を過ごした。 梅荘顕常と親交があったほか、売茶翁や黄檗僧たちとも交わり、信仰の念は生涯厚かった。 『動植綵絵』 30幅は、『釈迦三尊像』三大幅とともに相国寺に寄進されたもので、若冲の悲願のこもった生涯の傑作。 1970年ごろから再評価が進み、2000年の京都国立博物館での大規模展を機に広く知られるようになった。 |