Collections作品紹介
Artist 作家名 |
Konoe Nobutada 近衛信尹 |
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Material 手法 |
Ink on Paper 紙本・墨 |
Dimensions 寸法 |
本紙97.5×27.6㎝(Image) 総丈172.0×29.4㎝(Mount) |
Caption 備考 |
・本紙左側に杉花押 ・賛「唐衣(伽羅衣)お(緒)らで(天)北野の神ぞとは袖に持ちたる梅にても知れ」 【作品解説】 左大臣・藤原時平(871~909)の讒訴(ざんそ)によって、配所の筑紫国(福岡県)大宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真(845~903)の怨霊を鎮めるためにおこった天神信仰にまつわる作品。 天神像には「束帯天神(文官の正装である束帯姿)」と「渡唐天神(中国の道服姿で梅の一枝を手挟んで立つ)」の二分出来るが、本作は渡唐天神図である。 渡唐天神は、天神信仰が禅宗と結びついて生まれたもので、博多の崇福寺に出現して聖一国師(円爾弁円)に禅を問うた天神が、国師の薦めにより、宋・徑山の仏鑑禅師(無準師範)のもとに一夜のうちに渡って法衣を授けられたという説話にもとづく図様を文字絵として描かれている。【写真参照】 信尹は敬神のため、「百幅天神像」を描いたという(『古画備考』)。 今日、同様の遺墨が多く伝存、中には年紀をともなうものもあり、いずれもが慶長 14年〈1609〉から同15年であることから、そのころに集中的に描いたものと思われる。 |
Period 製作年 |
江戸時代(17世紀)慶長14年〈1609〉から同15年頃 |
Condition 状態 |
・虫食いが所々にあり時代感が御座います。 ・裏面折れ伏せ跡が確認できます。 |
Accessory 付属品 |
箱 |
Biography 略歴 |
【近衛信尹 (1565~1614)】 永禄8年(1565年)11月1日、近衛前久の子として誕生。 桃山時代の公卿で、摂関家近衛家の当主。能書家。 内大臣、左大臣を歴任するも文禄元年〈1592〉、豊臣秀吉の朝鮮出兵にみずからが総指揮をとるべく渡航従軍を企てたが失敗。薩摩に配流となった。 後に帰洛し、還俗後、関白・氏長者さらには准三宮となった。 歌道・書道に秀で、ことに書においては、近衛流(三藐院流)と称され、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の1人に挙げられ、不羈奔放の性格のままに、豪放自在、すこぶる個性的な書をかいた。 Konoe Nobutada (1565~1614) was the head of the Konoe clan, a prestigious family of court nobles. He was also an accomplished calligrapher, and his calligraphic style, which was later called the “Sanmyaku’in style” after his artistic name, was passed down to his adopted son, Nobuhiro, and became widely admired. |