Collections作品紹介
Artist 作家名 |
Takahashi Oshin 高橋応真 |
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Material 手法 |
Paint on Silk 絹本・彩色 |
Dimensions 寸法 |
本紙 127.2×56.2㎝(Image) 総丈202.0×70.5㎝(Mount) |
Caption 備考 |
サイン「應眞」、印「應眞」 |
Period 製作年 |
明治時代 |
Condition 状態 |
綺麗な状態です。 |
Accessory 付属品 |
Box included 箱付 |
Biography 略歴 |
【高橋応真(1855~1901)】 明治時代の日本画家。 松本楓湖及び柴田是真の門人。通称は善之助または善之介。 安政2年(1855年)に武蔵国(江戸)田安家の家士の高橋栄賢の長男として生まれる。 9歳のころに楓湖の門に入り、翠岳の号を称すとともに服部波山に漢画を学ぶ。 応真は師の勧めもあり、鑑画会の研究会へ出席して学んだ。 明治15年(1882年)の第1回内国絵画共進会に作品を出品、賞を受けたことを筆頭に翌年、第1回パリ日本美術縦覧会に作品を出品した。 また、明治17年(1884年)の第2回内国絵画共進会にも作品を出品、賞を得、明治19年(1886年)の第2回鑑画会では「芥子花図」が四等賞を得ている。 その後、柴田是真に入門、応真の遺号を授かり、その才能を開花させて是真門下の四天王とも、池田泰真らとともに十哲とも呼ばれる活躍をする。 明治20年代前半には日本美術協会において活躍するが、新しい日本画を模索する若手画家の潮流にのって明治24年(1891年)に日本青年絵画協会の結成に参加した。 また、明治31年(1898年)の第5回絵画共進会、明治33年(1900年)のパリ万国博覧会にも作品を出品してそれぞれ受賞するなど、長期的な活躍がみられた。 明治34年(1901年)7月12日に下根岸の自宅で食中毒により没し、東京下谷の谷中墓地に葬られた。享年46。 |