Collections作品紹介
作家名 | 山本光一 Yamamoto Kouitsu |
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手法 | 紙本・墨・金泥 |
寸法 | 本紙36.3×5.9㎝ 総丈153.0×23.2㎝ |
備考 |
・サイン「靖々」、印「光一かく恵乃印」 (詠み) 「かのきしへ 入そうれしき のみふねも まとかなるのそ よくするむしろに」 (意味) 「彼の岸(悟りの世界の比喩か)へ入ったことが、何ともうれしいことだ。か弱い槙皮の船であっても穏やかに漕ぎ行き、莚の帆がよく働いているからだ。」 ※彼の岸・・・涅槃、悟りの境地 ※のみ・・・船笳。槙皮(まいはだ)のこと。か弱い船に喩える。 ※まとかなる・・・「まどか(円)」。穏やかな様。 ※よくするむしろ・・・能莚 |
製作年 | 明治時代 |
状態 | 折れがございます。 |
付属品 | 高岡智照極箱 【高岡智照(1896~1994)】 奈良県生、俳人本名たつ子、真言宗大覚寺派尼僧、新橋の人気芸妓から、のちに京都で尼僧になった女性。 39歳で得度し、祇王寺の庵主となる。 瀬戸内寂聴の小説『女徳』のモデルでもある。 |
略歴 |
【山本光一(1843?~1905?)】 明治時代の江戸琳派の絵師。名は信敬、徳基。 号は、花明園、晴々、靖々、皓々、露聲、真如?、木石閑人など。 江戸琳派の祖である酒井抱一の弟子・山本素堂の長男として生まれる。 雨華庵四世を継いだ酒井道一は実弟。 酒井鶯蒲の養子・酒井鶯一に絵を学ぶ。 明治7(1874)年に設立した日本の貿易会社の起立工商会社において製品の下絵・デザインを作成した。 後に金沢へ居を移し、富山県工芸学校(現在の県立高岡工芸高等学校)で教鞭をとり、 金沢で拈華会を主宰し若手作家の育成に尽力した。 のちに石崎光瑶などを育成した。 |