Collections作品紹介
作家名 | 伊達忠宗 Date Tadamune |
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手法 | 紙本・墨 |
寸法 | 本紙26.8(20.8)×51.4㎝ 総丈112.0×55.8㎝ |
備考 | 【読み下し】 御知行下され候御礼の為、白石左兵衛相下し候。 弥々(いよいよ)御礼能々(よくよく)頼み申し候。 次に此の方指し支(つか)へ無く候(さふら)ひ、 安(やす)んぜらるべく候。 其の地に於ひて御機嫌能(よく)御座成られ候ひ、尤も大慶至極に候。 万事左兵衛申すべく候。 恐々謹言 五月十一日忠宗(花押) 茂庭了鷹殿 【現代語訳】 所領をいただいた御礼のため、白石左兵衛を遣わします。 いっそう(将軍家・幕閣への)御礼をよくよく頼みます。 次にこちらは差し支えなく、安心されるように。 そちらでは(将軍の)御機嫌がよく、たいへん喜ばしいことです。 すべては左兵衛が申します。 謹んで申します。 五月十一日忠宗(花押) 茂庭了鷹殿 ※1592年、文禄の役の際に秀吉が「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」という理由により 「茂庭綱元」と改名している。 |
製作年 | 江戸時代前期 |
状態 | シミ、折れ、軸蓋欠損 |
付属品 | |
略歴 | 【伊達忠宗(1600~1658)】 江戸時代前期の大名。 陸奥国仙台藩第2代藩主。母は田村清顕の娘・愛姫。 伊達政宗の次男(嫡男)として大坂城下で誕生。 兄・秀宗は、慶長19年(1614)大坂冬の陣に父と共に参陣、徳川家康から伊予宇和島10万石を与えられて別家を興し、忠宗が伊達宗家の後継者と定められた。 寛永13年(1636)5月、父・政宗の死去に伴い家督を相続。 仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため「守成の名君」と評された。 万治元年(1658)7月12日死去、享年60。 【鬼庭綱元(1549~1640)】 安土桃山~江戸時代の武将。別名は左衛門、石見守、了庵、延元。 仙台藩主伊達政宗の腹心で、輝宗・政宗・忠宗の三代に渡り仕えた伊達氏の重臣。 政治手腕に優れた能吏として知られ「吏の鬼庭綱元」と評され、「武の伊達成実」「智の片倉景綱」と並び「伊達三傑」と呼ばれた。 |