Collections作品紹介
作家名 | 白隠慧鶴(画,賛)、径山東讖(賛) Hakuin(Paint&poem) / Keizan Toushin(poem) |
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手法 | 紙本・墨 |
寸法 | 本紙121.8×53.6㎝、総丈196.0×66.0㎝ |
備考 |
■白隠作 ・上部に印「顧鑑(口+夷)」、「白隠」「慧鶴」 【賛】 「福と禄とは及びもないが寿ナガイキならばともかくも」 【意味】 財産やお金は、得ようとしても、なかなか思い通りにいくものではない。 しかし、「寿」=「長生き」ならば、その気になって養生すれば、金儲けほどむずかしくはない。 ■径山東讖作 ・画面中央にサイン「勅住華園師ヵ叟」、印「東讖之印」「径山」 【賛】 「奥田清翁見懇望白隠座元之画賛無縮一日入即年来/則作之賛以應需鐘愛幸哉/福深於海禄高自山/千秋萬歳好及人間」 【読み下し】 「奥田清翁見て懇望す、白隠座元の画賛、縮むこと無し、一日入りて即ち年来たる/則ち作るの賛は以て需に応ずる、鐘愛するは幸い哉/福は海に於いて深く、禄は山よりも高し/千秋万歳好みて人間に及ぶ」 【現代語訳】 奥田清翁が見て白隠座元の画に賛を付すことを強く望んだ。 (時が)縮んでいるわけでは無いが、一日は始まるとあっという間に年が巡るかのようだ 画はとても慈しまれており、画賛は求めに応じてのことである。何と幸いであることか。 福は海のように深く、禄は山よりも高い。 福禄寿は千年万年も好まれて人の世に親しまれている。 |
製作年 | 江戸中期 |
状態 | 虫なめ、折れ、シミ有。 |
付属品 | 箱付 |
略歴 |
【白隠慧鶴(1686~1769)】 江戸中期の僧。臨済宗中興の祖。 500年に一人と称えられた高僧。 15歳で郷里駿河(静岡県)の松蔭寺で得度。 信濃飯山の道鏡慧端(正受老人)の法をつぐ。 各地を巡歴して修行を積み、のち松蔭寺にもどり,享保3年京都の妙心寺首座。 余技としての画や書を民衆の教化に用い、「駿河には過ぎたるものが二つあり、 富士のお山と原の白隠」と土地の人々に慕われた。 臨済宗一派である「鵠林派」の祖でもあり、門下には東嶺円慈、遂翁元盧などの逸材が多く輩出されており、後進育成に注力するとともに民衆にも禅を広めた。 その禅画作品は、国内よりも海外でいち早く評価されてきた。 明和5年12月11日死去。84歳。 【径山東讖(?~1783)】 禅僧。津の竜津寺で住職をつとめ、宝暦7年妙心寺382世を継ぐ。 天明3年に死去。晩年は「天沢」と号する寺院の住職を務めたが詳細は不明。 曽我蕭白作「千方牛像(頂相)」(※三重県松阪市指定文化財)の賛者。 ※参考文献「宮島新一著『肖像画の視線(吉川弘文館発行)』」 |